2010年12月27日月曜日

中国雑感

                                                      中国泉州市・清源山・老子石像前

<はじめに>
日本人は中国嫌いの人が割合多く親中国派と呼ばれたくないようだ。今後更に世界の政治経済で力を増していくと思われる中国。日本の安定にとって、日中友好平和促進は極めて重要であり国益にかなう事であるので、この感情のわだかまりの克服が必要だと思う。何故中国人が好きでない人が多いのか?どうしたら普通の国民の感情を友好促進の方向に改善していけるのかについて考えてみたい。

1.尖閣諸島の漁船船長拿捕事件があった現在は中国の脅威に怯え過ぎ
→これは米国産軍複合体・官僚・マスコミの自分達の既得権益擁護から始まった事なのに…

「中国は覇権を求めず、日本は中国に敵対せず」を貫けば問題は起こらないという基本認識が重要である。中国は覇権を求めないと中国の首脳は度々言っている。米国の一国覇権主義に比べたら中国は穏健に見える。中国の軍拡の実情や軍事戦略については冷静に実態を掌握して監視して対話を重ねたら良い。尖閣諸島の領有権が日本にある事は明白でありこの事は毅然として主張したら良い事だ。

ところが経済が疲弊しきった米国の産軍複合体は、戦争又は戦争に備えた警備特需を求めて尖閣諸島や朝鮮半島の緊張拡大を望んでいる。米国は日本の外務省・防衛省・自衛隊を事実上指揮下に置き、中国・北朝鮮を仮想敵国に見たてさせて日韓の軍事関連予算を増やし利益を得ようとしているのではないか。事実上陸海空に次ぐ第四軍となった海上保安庁に命じて漁船を捕まえ船長を逮捕したり黄海で軍事演習をして北朝鮮を挑発しているのだ。マスコミはこの米国の戦略を隠して、一方的に中国の領土的野心による横暴だと仕立てあげたり北朝鮮からの攻撃を懸念させて、日本人の嫌中・嫌北朝鮮の感情を煽り続ける事に必死である。尖閣の船長逮捕に抗議する僅か500人程度と言われる反日デモを繰り返し報道が嫌中国感情を拡大した。
→勿論、日本人関連施設を毀損するデモは許されない事であるが。そして残念ながらこの世論誘導に乗せられてしまう日本人が多く、中国を嫌ったり避けたりする人達の比率が80%程度?いると思われるのが嘆かわしい実態であろう。

2.過去の日本の侵略の歴史について最低限の知識を持つ事と、今の中国をもっと知る事の両方が必要である。
→日本の既得権益層は元日本軍関係者かその縁者が多い。戦争の加害行為の隠蔽と過剰な責任回避・防禦の姿勢が強いと思う。過去の大日本帝国の栄光に浸った意識の持ち主も僅かながら残存している。こういう時こそ、日中の過去の歴史に、ありのまま何があったのか確認する立場が大切なのだ。

近代の歴史を冷静に振り返れば、中国は清国の時代からずっと受け身であり英・仏・独・露等西欧列強や日本の帝国主義国に侵略され、それと闘い続けてきた歴史と言えるのではないか。日本がその中でも最大級の加害国になっていった事は紛れもない事実である。
多くの日本人の歴史認識は大変低いレベルに止まっている。戦後の教育は古代・中世は教わっても近代は殆ど教わっていず、司馬遼太郎等を読んで明治の日本の隆盛ぶりを喜んでいる人が多いのだ。少なくとも高校の教科書レベルの日中の闘い(日本の侵略)の知識が必要と思うが時間切れで充分教わっておらず、一部の人を除いて私も含めて殆どの人が基本的な事実を知らないと思う。これが最大の問題なのだ。私も今回基本的な知識を再確認し乍らこれを書いている。
この満州国の中心的存在だった満鉄の調査部が今の日本のマスコミを支配している電通の前身だと分かると今の日本の報道ぶりも大いに頷けるのだ。

中国は、日本のシナ事変・大東亜戦争のような帝国主義的な大規模な武力侵略は行っていない。むしろ被害者であった期間が長かったのだ。日中戦争や第二次世界大戦の歴史で中国との論争になるのは、南京事件の中国民間人被害者の数の問題がある。この件は数の多少を感情的に争う問題でなく両国の歴史学者が冷静に調べるべき話であり、いずれにしても加害行為があった事は間違いないのだ。最近海南島でも慰問婦にされた人達が日本で裁判を起こしたが敗訴になっていた事実を始めて知った。今は日本人がゴルフを楽しむ島だ。勿論、靖国神社参拝の問題が依然として最大のテーマになる事も避けて通れない事実だ。
日本の指導層に多くの軍人OBの人脈がいて強大な権力を維持している為、過去の加害行為を突かれたくない意識は強いのだと思う。最近戦時中に中国で生きた人の人体解剖もやった軍医がやっと重い口を開き事実を認めたケースもあったようだ。

<大連・旅順観光で知った事>

又、敗戦前後の悲惨な体験を語りたくない人達も多いのだ。最近NHKは坂の上の雲で日本海海戦の秋山真之参謀の活躍を英雄視して放送しているが戦争はそんなカッコいいものである筈がない。日露戦争で大激戦を繰り広げた旅順の203高地の要塞等を10月に見て来た。当時の激戦を今に感じさせる場所がそこに生々しく残っているのだ。乃木将軍とステッセル将軍の会見の場の水師営は粗末だが重要な歴史の跡を留める小屋が残存していた。数台のバスが連なり、中国の高校生と思われる人達が整列して真剣に歴史を学んでいるのだ。旅順~大連の途中に1909年にハルピンで伊藤博文を暗殺した韓国独立運動の活動家安重根を収容獄死させた監獄も見た。狭い重苦しい監獄が観光のルートに入っていたのだ。妻は途中でもう見たくないと離脱した。

大連は噂に違わぬ実に美しい街並みだ。近代化も進んでおり、仙台の美しさを更に大規模にして、整然と街づくりされた落ち着いた大都会と言ったら良いだろうか。満州国ゆかりの建物がほぼ残存しており約100年前の日本の日の出の勢いを感じさせるのは確かだ。満鉄の跡には川重製のとてつもなくでかい機関車が1台残って往時をしのばせる。又ロシア風の建物が残存する地域があったり、今は世界の資産家の隠れた別荘地の一帯でもあり本当に魅力たっぷりの都市だった。
立ち寄った大連賓館(旧大和ホテル)は1914年竣工の当時の一流ホテルで往時の華やかさを偲ばせる。1972年9月に北京で「日中共同声明」に調印したが、その電撃的交渉成立前に田中角栄元首相と周恩来元首相が事前に交渉した部屋が当時のままらしく、その田中角栄が座った椅子に座って偲んで来ました。

しかし敗戦前後の日本人は本当に悲惨だったようだ。残った日本人のうち恵まれていた少数の医師や教員(安部公房と清岡卓行)も日本人の財産没収を手伝わされ、その恨みで引き揚げ船内で凄惨なリンチに遭ったり、コレラも酷かったようだ。地獄図が繰り広げられた船の出た大連の埠頭はホテルの窓から俯瞰出来る。日本が作った実に美しい埠頭だった。ここから引き揚げ船が舞鶴に向かったのだ。

致命的なのは戦後の日本の教育でこういった大正・昭和の近代の歴史を殆どやってこなかった事だ。誰でも酷い経験は語りたくない。戦後生まれの私の同世代は親からも教師からも中国侵略の歴史的事実をあまり教わらず充分知らないまま育った。それに背を向けひたすら米国の経済圏で経済発展に邁進し成功してきた。英語はある程度覚えて欧米の文化には馴染んだ人は多いが、遥か昔から交流の深かった中国に馴染みのある人がまだ本当に少ないのだ。
まして中国語が分かる人は極めてまれで中国人と日本人がビジネスは英語でやる事も多い現状であるが、一般の英語が充分でない国民同志での正しいコミュニケーションは容易ではない。

3.経済大国になったプライドと、巨大な市場かつ強力なライバルとなった中国へのとまどい

戦後経済大国に成長した日本は1980年まで朝鮮戦争やベトナム戦争特需もあり繁栄を謳歌した。バブル崩壊後も官僚・マスコミ・大企業の特権層は自らの権益はむしろ拡大させつつ、従業員の待遇を切り詰め、正社員の採用を控えて乗り切ってきた。平成になってから更に米国の年次改革要望が厳しくなり、それに対応してきたため中間層は大幅に抉り取られ、分厚い下層の労働力を作りだす為に労働者派遣法が制定された。その結果、日本の格差は先進国中で上位になってしまった。

特権層は衣食住(やや狭いが)とも世界トップクラスの生活を享受していると思う。少なくなって来た中間層ですら贅沢さえしなければデフレもあり、給与は抑えられても世界の中ではまだ高い水準の生活を享受していると言えよう。
こういった恵まれた人達からすれば中国の食品衛生や環境問題での後進性は蔑視の対象となるのだろう。実際の中国はこの面でも改善が著しく、特に沿岸部の大都市の市街地の緑化・清掃は見違える程進んでいるのだが(私はまだ内陸部は殆ど知らない。20年前西安に行っただけだ)。

6月に上海万博に行った際、行く度にキレイになっている上海には驚かされてきたが、立ち寄った深圳も事前のイメージが吹っ飛ぶ緑のある近代都市になっていた。多くの日本人は欧米や他のリゾート地への憧れは高いが身近の中国への関心は薄いままだ。行ったら快適で楽しい所なのだが。
実際に中国に行かないので分からないままTV新聞の意図的な中国へのネガティブキャンペーンをそのまま信じてしまう人が多いのが今の日本人の残念な所だ。この期に及んで、やっと生き残りをかけて中国に投資をする企業も又出てきており成否が注目される。

4.正確な現状認識を拒む心情と妬み
→今後具体例を正確に把握していく必要がある。

以前から中国に進出した企業は安い人件費のみ求めたり、中国の文化、特に班の意識を充分把握して対応しない場合は進出しても失敗するケースも多かったようだ。又最近の中国の発展振りに眼をつぶり、良く知ろうとせず、妬む人達も多い。そういった狭い感情を超越して、とにかく交流を深め、違いを理解し、お互いを敬う気持ちが大切である。政冷経熱や戦略的互恵関係等で止まらず、真の互敬関係が必要なのだ。何事もカネ・カネ・カネだけでは真の友人にはなれないのだ。ビジネスでも既に多くの部門でライバル関係になり競争も激しく、成功する中国企業への恐れ・妬みも大きい事情は理解できるが怯んでいてはいけない。昔満州に進出した日産は、今は厦門の空港で最初に目につく東風日産で生き残っている。

5.人的交流の強化の必要性
→政府間、学生の交流に止まらず、自治体、民間人の交流も厚くする事が友好平和を齎す。

大平正芳元首相が外相の時に田中元首相と共に、毛沢東元主席・周恩来首相らと成し遂げた日中国交回復が歴史的大事業であった事はいくら強調してもし過ぎではない。当時それを知ったキッシンジャーが田中元首相をジャップ!と激怒したと言われている。その後も日中の関係が深まる事は米国にとって死活問題であり、何が何でも阻止したい事のようだ。

<厦門・華安・泉州観光で知った事>

12月の厦門・泉州の旅行でも眼を瞠る事が多かった。コロンス島の美しさ、伝統芸能の人形劇や音楽の素晴らしさだけでも一見の価値がある。ポルトガルが欲しがった風光明媚な島だ。真向かいには台湾領金門島・馬祖島が眼の前にあり、海峡が緊張していた頃に独製の巨大大砲が設置され今も観光用に残っている。厦門の街も本当にキレイだった。

華安土楼前(ドライバーと)

世界遺産の華安土楼は不思議な暖かさを持った宋代以来の客家の共同住宅だ。本当に一見の価値がある。客家は文天祥、孫文、鄧 小平、リ・クアン・ユー、李登輝等の著名人が輩出した。華僑の多くが客家出身で、中国の改革開放経済の繁栄を支えた人達と言われている。厦門から高速を車で2時間半。途中工場地帯漳州市を抜け、バナナ畑、茶畑(天下の銘茶、鉄観音の故郷)を抜けた山里の景観も穏やかで美しい。胡錦濤主席も訪れたそうだ。
南宋の文天祥の思想が吉田松陰に繋がったとも言うし、1898年西大后のクーデターで日本に亡命した梁啓超は吉田松陰の思想を研究し中国の近代化を夢見たらしい。又日本人にも馴染みの深い孫文は2010年に辛亥革命を起こし2012年中華民国の誕生で初代臨時大統領になった。尊崇の対象で中国各地に中山堂があるようだが、日本亡命時代に日本人妻がいてお孫さんもいるようだ。


泉州は仏教、道教、イスラム教の寺が共存する京都・奈良のような歴史の街だった。老子の石像も鎮座している。その前で写真を撮ったが不思議に悠久の風が吹きわたっているように感じられた。泉州通准閣岳廟も参拝客でごった返していたが、おみくじを引いたら売り子の叔母さんが日本人と知ってわざわざ上上の籤を選んで渡してくれた。
途中には大理石の卸売の街があった。日本人のお墓の石の多くは福建省産で厦門港から輸入されているらしい。海のシルクロードを大航海した英雄、鄭成功記念博物館の船の陳列も素晴らしかった。


中国の土地が国家所有である事は日本では共産党独裁で立ち退きを強制された例のみ報道されるが、少なくとも計画的な街づくりには極めて有効であると、どの都市へ行っても強く感じる。上海万博も良く中心街に近い所にあれだけ広大な敷地が用意出来たものだと驚かされたものだ。
本当にどの街も美しく計画的に開発整備されているので、そのお陰で職住近接の人が多いようだ。厦門の27歳の男性ガイドは街の中心のホテルから車で10分未満の37階のビルの27階に妻と1歳8カ月の坊やと暮らしていた。妻は弁護士だが子供が3歳までは働かないという。日本からの観光客激減の逆風にもそれ程めげずに道中お客(私達夫婦のみ)をほったらかして、株の売買を携帯でやって大幅減収の穴埋めをしていた。最終日は自宅マンションに招いてくれて、子供と遊んだり手作りのおいしい夕食を作ってくれて楽しかった。


中国の人が好きでない理由に声が大きくうるさいと感じる人は結構多い。主張がはっきりしている事も婉曲さを好む日本人はちょっと苦手だ。しかしそんな事は本当は些細な事だ。遠くて近い中国の発展振りを多くの日本人が目の当たりにしたり、中国人と付き合いを深めれば簡単に乗り越えられる程度の問題だと思う。


何よりもお互いの言語を理解出来る人材がどの位厚くなっていくかがポイントになるだろう。”言葉を正確に理解する事が文化を知る事”というのは当たり前だが大切な指摘である。若し今の菅政権のような非協調的な首相や、敵対的とも思える前原外相の政権が続いたとしても、日中の交流は必ずより太い友好的なものになっていくと思う。この歴史の必然的な流れは止められないであろう。私達も先人や今の日中友好平和促進の中核となって活躍する人達にいろいろ教えて貰い乍ら、あちこちをうろうろして、ささやかに両国の友好平和に貢献していきたい。


・参考にした見解 
①シンポジウム「日中の未来を考える~東京視点 日中市民交流イベント」2010.12.18      
白西紳一郎氏(社団 日中協会理事長)や可越氏(東京視点・日中コミュニケーション代表取締役)達から得た情報。
②「大平正芳生誕100周年出版記念懇談会」 2010.12.20に参加した方々のスピーチ。
辻井喬氏(日本中国文化交流協会会長)も大平元首相をテーマにした小説があるようだ。
・参考にした書籍        大平正芳からいま学ぶ事 
桜美林大学北東アジア総合研究所(川西重忠所長)
北京外国語大学北京日本学研究センター(徐一平主任)連携


0 件のコメント:

コメントを投稿