2011年11月23日水曜日

地中海クルーズ記 <スペイン>

⑤マジョルカ島(スペイン)


【概要】
今は西地中海に浮かぶバイレアス諸島の州都。人口約40万人だが夏は倍に膨れ上がるとの事。観光はベルベル城と大聖堂とデパート巡りであった。

【歴史】
13~14世紀、スペイン北東部の国アラゴンの征服王・ハイメ1世が1229年からイスラム支配下のマジョルカ島に侵攻。1276年死去の際ハイメ(ジャウメ)2世に継承。兄のアラゴン王ペドロ3世と対立し、フランス王フィリップ3世・ローマ教皇フィリップ3世と連合し闘う等を経て1311年ジャウメ2世死去後財政危機に陥り1349年リュクマヨールの闘いに破れ滅亡、スペインのアラゴン王国に併合された。

【感想】
そのハイメ2世の居城としてスタートしたベルベル城。ベルベルは見晴らしの良いと言う意味らしい。小高い丘からパルマの街、ヨットが沢山繋留されているハーバーが良く見えた。近くにある大聖堂は1230年に建造開始、1601年にやっと完成したそうだ。カタルーニャ・ゴシックの傑作で20世紀の改修はガウディも係わったらしいが午後2時に着きデパート買い物も組まれた短い時間での慌ただしい観光だったので、この旅行で唯一不満の残った1日だった。

最後に現地ガイドさんが、日本人が120名位しかいないので移住してくれる人はいないだろうかと寂しそうに言っていたのが印象的であった。いい所ですよ。


⑥バルセロナ

【概要】
スペイン・カタルーニャ州の州都。人口160万人だが近郊を入れると420万人。14世紀に建設された城塞を起源とする旧市街と1859年の大拡張された碁盤の目のような新市街からなる。1992年のオリンピック開催地。

【歴史】
伝説ではハンニバルの父ハミルカル・バルカがカルタゴ人植民都市であるバルチーノを建設したと言う。後にローマ人がカストロム(ローマ軍の宿営地)に作り替えた。5世紀はゲルマン系西ゴート王国(415年~711年)が支配。476年に西ローマ帝国が滅亡するとフランク王国と覇権争い。621年イベリア半島をほぼ制圧したが711年イスラムのウマイヤ朝に征服された。
801年フランク王国の辺境領に組み込まれたが自立を始めカタルーニャ君主国を確立し、985年イスラムのマンスールの包囲を撃退。その後アラゴン王国は拡大しアテネまで地中海を支配するが、15世紀にカタルーニャ・アラゴン連合とカスティーリャ王国で統一王朝が出来るとスペインの中心はマドリードに移行していった。1714年スペイン継承戦争で再び荒廃。フェリペ5世は反乱したバルセロナを処罰した。
19世紀産業革命後「大拡張計画」が採用され中世の城壁は取り壊された。20世紀初頭にカタルーニャ人が自治と文化的表現の自由を求めて騒乱を起こしバルセロナの復活が明確になった。
この時のモデルニスモ(新芸術運動)を産業ブルジョワジー(グエル=ガウディのスポンサー)が支援した。

スペイン内戦(1936年~1939年)バルセロナは無政府主義運動の拠点に。しかしフランコ軍に侵略された以降数十年間は恐怖政治とカタルーニャ語の使用を禁じられる等の抑圧が続いた。この内戦の事は「誰がために鐘がなる」や「ゲルニカ」位しか知らないが、いろんな要素が入り乱れ骨肉も別れて争う激しい闘いだった事だけは間違いないようだ。
1975年以降自治政府も復活し「カタルーニャ」の独自性を追及する時代~現在に至っている。
バルセロナの人々はケチで働き者と言われスペインのGDPの1/4を稼いでいて普通のスペイン人とは違うようだ。

【感想】
ほぼ終日観光出来た。アントニオ・ガウディの代表作サグラダ・ファミリア(聖家族教会)は内部も、特に外観は見た事が無い芸術性が感じられ素晴らしかった。生誕の門、受難の門も工事が続けられていて何回も訪れた人達は口々に前はここまで出来ていなかった、又来て良かったと言っていた。

バルセロナの街と地中海を見下ろす高台のグエル公園の散策も実に楽しくガウディのカサバトリョ
カサミラは一度ご覧下さいとしか言えない空間でした。

昼は海辺の半野外レストランでパエリアとムール貝。子イカのフリッター等素朴な味は格別です。

午後のカタルーニャ広場にはいろんなお土産店や、奥の方には青果物・魚市場もあり多くの国から来た観光客達も交え大混雑でした。同じグループの常連の方は「ここのカラスミがおいしいので毎回買って帰る」のだそうです。バルセロナはとにかく楽しい再訪したい街でした。

夜はフォーマル・ナイトで船長主催パーティーで挨拶やアトラクションで盛り上がりました。

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