最近2つの講演会に参加した。
<敬称略>
1.日米安保50周年記念シンポジウム
・5月28日(金)13:20から17:30まで。 ・於 早稲田大隈講堂
・テーマは「安保50周年と日米関係」
・主催 日米研究インスティテュート(USJI)
・後援 東大・京大・早稲田・慶応・京産大
・モデレーター 田中明彦 ・基調講演 M・アマコスト
・パネリスト 植木千可子、P・クローニン、シーラ・スミス、中西寛、長島昭久、林芳正、柳井俊二
そこでの論議は驚きの連続であった。沢山の論点・疑問点があったが、そのうち素人の私から見て特に驚いたのは次の2つの点であった。
1つは「集団的自衛権」についてのパネリスト柳井俊二元駐米大使の発言である。
柳井俊二元駐米大使は「この世界中での日米の軍事行動における集団的自衛権の行使は、憲法9条に元々何ら違反するものではない」と言い放ったのである。本当に信じられない発言と思ったが柳井氏達からすると極く当然の事で何の疑問の余地もないという姿勢であった。
この発言の本音を正しく解釈し分かり易く表現すると「日本国民はもう四の五のと言うな! 日本の自衛隊は米国の指揮の基に一緒になって軍事行動すれば良い。憲法9条や国連憲章は超越すれば良いのだ!」という事のようであった。日本の国益は米国追従しかないと本当に思いこんでいるようだ。
この主張は国会で長年に亘り、憲法9条や国連憲章の制約の下で積み重ね論じられてきた「集団的自衛権」等についての論議を過去のものとして棚上げ・無視しようとしているもので、小泉政権下で国会で論じられた論議すら更に超越しようと言うものである。到底許しがたい暴論だと思うが、現実に日米の防衛政策決定に影響力のある人達にとっての共通認識になっているようであり、今の民主党政権が進める「日米同盟の深化」の政策にはっきりと反映されていると思われる。この事を良く認識して反対していく必要があろう。
(参考その1)
議論の前提となる「集団的自衛権」とは何か?については2001年6月に浦田一郎が纏めた「-政府の集団的自衛権論-従来の見解と小泉政権下の議論」の要約を以下に添付したので興味のある方はご参照ください。
2つ目の驚きはこのUSJIの後援メンバーだ。
京大、慶応、東大、立命館、早稲田が名を連ねている。
協賛企業も名だたる大企業24社が名を連ねマスコミ全社が協力していた。
私も早稲田出身だが、早稲田の総長がこのUSJIの理事長であり本部はアメリカだが日本の事務局を総長室内に置いて「日米同盟」を深化させようと積極的に活動しているという事は知らなかったので、唖然・愕然とさせられた。
パネリスト達の共通の狙いの一つは今後とも幅広く優秀な若者達をリクルートして「日米同盟」を深化をせる人材を育成(洗脳)していこうというもののようであった。恐ろしい事である。
今これらのパネリスト達も核の一つとなって菅政権を作り上げたと思う。言う事を全部は聞かない小沢氏達をありもしない政治と金問題と称して人権を蹂躙して政治的影響力を排除し、消費税を増税して法人税を下げて外資の割合の高まった株主の配当を増やして日本を更なる不況に追い込み、米国が世界中(現在は中東)で行う侵略戦争に米国軍の指揮下で自衛隊を何の制約もなしに使おうとしている。
米国やその手下の外務官僚にとっては、日本国憲法なんて全く邪魔なものだが、もはや憲法9条に抵触するかどうか等面倒な事に真面目に対応する必要すらなく、勝手にどんどん超越すれば良いと考えているようだ。
私の理解もまだまだ浅薄だが、やっと此処まで「嫌でも実態を認識せざるを得ない」という段階に辿り着いてしまった。長島の発言は酷すぎて思い出したくもない。この人は自分が日本の軍事・外交政策の決定権限を持っていると思っているようだ。米国の利益に忠実で、日本人である事を忘れてしまったとんでもない人とだけ言っておこう。
2.Deep Night第一夜
・6月12日(土)18:30から21:00まで。 ・於 恵比寿
・テーマ「ゾルゲと真珠湾と9.11」
・主催 ジャーナリスト岩上安身
・対談相手 孫崎 享
テーマになったゾルゲ・真珠湾・9.11の3つとも、「戦争をしたくない国民をどうやって戦争に協力させるか」という点で共通している事がわかった。その前の南北戦争でも同じだったようだ。日本の国際情報分野のプロ・第一人者であった孫崎氏が「何故ここまで現代の国家間の情報戦についてオープンに語ってくれるのか」と言う疑問も残るが、本当に説得力のある内容であり信頼出来る実に立派な日本人だと思う。特に心に残った点は次の2点である。
1.外務省から派遣されたハーバード大学国際問題研究所の研究員の時「近代の米国の戦略」についての研究は認められていなかったとの事。恐らく対日支配戦略・謀略を詳しく知られたくないためであるようだ。
2.上記3つのような歴史上の事件でも、現在起こっている事件でも、真実であるかどうかは「エビデンス」を探すが、「エビデンス」が足りない場合は「誰がそれにより利益を得るか」を考えると真実に近づくとの事であった。
特にゾルゲは名前しか知らなかったので、このゾルゲ事件でリベラル(戦争反対)の「近衛内閣」が崩壊して東条内閣が出来て第2次大戦に突入していく重大な契機となったと言う事を初めて聞いた。ゾルゲは独・露のスパイだけでなく米国共産党とも関連があり、この事件には当時の日本共産党の関与も疑われるようだ。
懇親会で孫崎さん・岩上さんや、多彩な参加者と直接熱い会話をする事も出来久しぶりに楽しい日であった。
いつの世もそうだろうが現在は世界が危険な状況が近づいており、つくづく「ゾルゲと真珠湾と9.11」の後に変な大事件が起こらぬよう祈りながら、微力でも人間性を備えた有識者の情報・力を借りながら皆で監視するしかないと思う。何が起こっているのか真実を知る為にブログ・twitterの登場・存在の意義はとても深いと思う。
(参考その2)孫崎享著「日米同盟の正体」の一部抜粋分の要旨を以下に添付したのでこちらもご参照下さい。
(参考その1)「集団的自衛権」の基礎知識
-政府の集団的自衛権論-従来の見解と小泉政権下の議論<2001年6月浦田一郎(一橋大学)要約>
①1981から82年にかけてシー・レーン防衛との関わりで取り入れられたもの。「集団的自衛権」は日本国憲法9条に抵触するものではなく、国際法上集団的自衛権を有している事は「主権国家である以上当然」としたものである。そして「実力」によらなければ集団的自衛権に当たらないとされ、その代表例として経済援助や基地の提供は問題なしとされて来た。
②1997年の新ガイドラインで後方地域支援等は、武力の行使に当たってはならないとされている(周辺事態法2条2項)。その後個別的自衛権を行使できる範囲は「必ずしも我が国の領土、領海、領空に限られない」とされた。すなわち日本の領域への武力攻撃に対する反撃が領域外で行われる場合や、日本の領域外における日本の艦船等への武力攻撃が行われる場合の反撃が行われる場合である。
③1990年代に「一体化論」が政府の憲法論の中で中心的役割を果たしてきた。武力行使だけでなく武力行使しなくても、外国の武力行使と一体化したものまで禁止するものであった。しかし「後方地域支援は、それ自体は武力の行使に該当せず、また米軍の武力の行使との一体化の問題が生ずることも想定されない」とされた。
④2000年10月アーミテージ元国務副長官らによる対日政策報告書は、日本の集団的自衛権の禁止が「同盟協力の制約」になっているとして禁止の解除を求めた。2001年5月8日土井社民党議員の質問への答弁書を閣議決定した。そのうちの集団的自衛権に関する部分の要旨は以下の通り。
(参考その2)孫崎享著「日米同盟の正体」の一部抜粋要旨
2005年10月29日、日本の外務大臣、防衛庁長官と米国の国務長官、国防長官は「日米同盟・未来の為の変革と再編」という文書に署名した。これは単なる日米安保条約の部分的強化ではない。日米安保条約は既に終わっていてこれにとって代わったものと言って良い程決定的に違うものである。
-政府の集団的自衛権論-従来の見解と小泉政権下の議論<2001年6月浦田一郎(一橋大学)要約>
①1981から82年にかけてシー・レーン防衛との関わりで取り入れられたもの。「集団的自衛権」は日本国憲法9条に抵触するものではなく、国際法上集団的自衛権を有している事は「主権国家である以上当然」としたものである。そして「実力」によらなければ集団的自衛権に当たらないとされ、その代表例として経済援助や基地の提供は問題なしとされて来た。
②1997年の新ガイドラインで後方地域支援等は、武力の行使に当たってはならないとされている(周辺事態法2条2項)。その後個別的自衛権を行使できる範囲は「必ずしも我が国の領土、領海、領空に限られない」とされた。すなわち日本の領域への武力攻撃に対する反撃が領域外で行われる場合や、日本の領域外における日本の艦船等への武力攻撃が行われる場合の反撃が行われる場合である。
③1990年代に「一体化論」が政府の憲法論の中で中心的役割を果たしてきた。武力行使だけでなく武力行使しなくても、外国の武力行使と一体化したものまで禁止するものであった。しかし「後方地域支援は、それ自体は武力の行使に該当せず、また米軍の武力の行使との一体化の問題が生ずることも想定されない」とされた。
④2000年10月アーミテージ元国務副長官らによる対日政策報告書は、日本の集団的自衛権の禁止が「同盟協力の制約」になっているとして禁止の解除を求めた。2001年5月8日土井社民党議員の質問への答弁書を閣議決定した。そのうちの集団的自衛権に関する部分の要旨は以下の通り。
政府は従来から、我が国が国際法上集団的自衛権を有している事は、主権国家である以上当然であるが、憲法9条については過去50年余にわたる国会での議論の積み重ねがあるので、その解釈の変更については十分に慎重でなければならないと考える。他方、憲法に関する問題について、世の中の変化を踏まえつつ、幅広い議論が行われることは重要であり、集団的自衛権の問題について幅広い議論が行われることは重要であり、集団的自衛権の問題について様々な角度から研究してもいいのではないかと考えている。
(参考その2)孫崎享著「日米同盟の正体」の一部抜粋要旨
2005年10月29日、日本の外務大臣、防衛庁長官と米国の国務長官、国防長官は「日米同盟・未来の為の変革と再編」という文書に署名した。これは単なる日米安保条約の部分的強化ではない。日米安保条約は既に終わっていてこれにとって代わったものと言って良い程決定的に違うものである。
日米安保条約と「日米同盟・未来の為の変革と再編」の違いはどこにあるのか調べてみると、まず大きく違うのは対象の範囲である。日米安保条約では極東条項を持っていたが「未来の為の変革と再編」では「世界における課題に効果的に対処する上で重要な役割を果たしている」として日米の安全保障協力の対象が極東から世界に拡大されているのである。この内容に添ってオバマは日本に対し、アフガニスタン、イラン、イラクに対して積極的に関与する事を求めてきているのである。
次に理念面でも質的に大きな変化を遂げてしまっている。日米安全保障条約は前文で「国際連合憲章の目的及び原則に対する信念・・・を再確認し」第1条で「国際連合憲章の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎む」「国際連合を強化する事に努力する」として国際連合の役割を重視していた。
しかし「日米同盟・未来の為の変革と再編」では「日米共通の戦略」を重視しているが戦後日本には確固たる安全保障戦略がある訳でなく、日本が米国の戦略に従う以外にいかなる共通戦略もない。「同盟関係」というが実態は米国が重要な案件を「一方的に決めているだけ」なのである。
かつ、この新たな枠組み模索の中で中心課題の一つが日本による危険の負担、つまりは自衛隊員に死を覚悟して貰う事である。この流れの中でイラクの自衛隊派遣、ソマリア沖への海上自衛隊派遣、アフガニスタンへの派遣が真剣に協議されているのである。
しかもこの事は米国と文書で約束したが、他方国民にはこの文書の意義を充分説明していない為、既存の合意と国民の認識に大きなギャップが存在するのである。この多くの国民が知らないままに、日米間の新しい合意によって、世界を舞台に安全保障面で新しい役割を担おうとしている今日、一般市民も安全保障問題を根本に戻って考える時期に来ているのではないか。
上記の問題点を鋭く追及してきた元レバノン大使・天木直人氏が「さらば日米同盟」を先日出版した。これから熟読・理解したいと思う。
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