2011年10月23日日曜日

地中海クルーズ記 <イタリア>

<始めに>
「MSCスプレンディダ号で行く浴槽付きデラックス・スイート客室で巡る煌きの地中海クルーズ11日間」を堪能して来た。
訪問先は皆初めての所なので,
【概要】で基礎的知識を確認し、【歴史】で史跡の歴史的背景、【感想】で最も印象的だった事を記録に留め今の日本で生きる自分の立ち位置の確認と言動への参考にしたいと考えている。

<行程>
成田→コペンハーゲン経由ミラノ→ジェノバ→ナポリ(ポンペイ遺跡)→シチリア島パレルモ→チュニス(カルタゴ)→マジョルカ島→バルセロナ→マルセイユ(エクス・アン・プロヴァンス)→ジェノバ→ミラノ→成田のコース。

<私の欧州旅行歴>
・私の初めての欧州旅行は8年前元気な時にスイスのツェルマット(マッターホルンの麓の街)に泊り標高3800mのクラインマッターホルンから北イタリア・チュルビニアに滑って降りた時であった(その際パリにも立ち寄った)。→今回その方向をミラノ近郊から遠望出来て感慨ひとしお。

・次は06年モーツアルト生誕200年祭。オーストリア(ウイーン・ザルツブルグ)で全くの素人が本場のオペラを3つ堪能した。特にイドメネオのマグダレナ・コジェナーさんのファンに。

・3回目はEUに注目。07年ルクセンブルグ・ベルギー・オランダ・ドイツ(フランクフルトのみ)を回り、EU本部やECBを見た。域内を縦横に行き交う交通量の多さに欧州の繁栄・統一の成果を実感。(振り返ればその時がユーロのピーク。今日のユーロ・欧州の危機は想像出来なかった→ただし昨今の日米マスコミが連日連呼するユーロ危機は存在はするが米国の財政危機隠しと表裏一体だと理解している)。ナポレオンの破れたワ-テルローの闘いの戦場跡も行った。ロスチャイルドが情報網を生かして巨財を得て以来欧米国際金融資本の中核にのし上がる契機となった重要な場所だ。

・4回目の08年はイギリス周遊。エジンバラ等にたなびくスコットランドの旗が印象的。イギリスとスコットランドの古戦場も印象深い場所だった。又、イギリスは国中、田舎までやたら「For Rent」の家の多いのにびっくり。大不況は始まっていたのだ。ロンドンのテームズ河畔にあるヘッジファンド界の雄マン・インべストメント社も訪問したが直後にリーマンショックが到来した。以降はマン社も大苦戦が続く。
ロンドン塔にあった、世界最大と言われる英国王室所蔵のダイヤモンド、コヒヌールの耀きに見とれる。東インド会社がビクトリア女王に贈ったもので、今はインドが英国に返還を求めている宝石だ。

<その後体調不良>
去年ようやく少し回復したので近場の中国旅行(上海万博・大連・厦門)の3回で史跡を訪ね身体を慣らしていた。今春かなり復活した(と勝手に思っている)手始めに大震災後にトルコを周遊し、その自然・歴史・食料・人情・政治の独立性に感嘆。真の豊かさはGDPや工業化の程度だけでは測れないと強く実感し「先進国」という言葉に大きな疑問を抱いていたが、それが確信に変わりつつある。

<旅行選定と結果>
体調がまだ万全でないので移動が不要で楽なクルーズを今回は選択。まだ行った事のないイタリアの中心都市やチュニジア・スペイン・南仏を巡れる事が出来るこのコースを選んだ。

出発前はチュニジアのジャスミン革命やフランスのマルクール原発爆発事故で気を揉んだが、幸い予定通りの航海で特段問題もなく、闘い続きの地中海の歴史の一端や有名な遺跡の持つ見る人を圧倒する力、イスラムと部分融合したキリスト教会の美しさ、今回は観賞出来なかった有名なミラノ・スカラ座やシチリア・マッシモ劇場の存在感、各地の賑わう市場等を観賞・実感出来た素晴らしい旅となった。

<見どころ満載&豪華・快適さ満喫>

①ジェノバ

【概要】
イタリア最大の貿易港ではあるが、人口60万人(周辺含め90万人)の落ちついた街である。

ウォルター・P・ウェッブは「コロンブスとヴァスコ・ダ・ガマ以来の近代史とは、ヨーロッパによる北アメリカの開発による超長期ブーム」だと指摘している。カール5世の抱いたキリスト教世界帝国建設の夢が敗れた(利子率が低迷する時代)後に訪れた「ジェノバの世紀」(1557年~1627年)を築いたジェノバはその近代史の「海の時代」が始まる中核となった歴史上大変重要な都市である。数百年後その「海の時代」も限界に来て起きたリーマン・ショックの重大性を歴史上の大きな節目の到来(再び利子率が低迷する時代に突入)と捉える必要がある。今度は「海の時代」から再び「陸の時代」に転換していく時代を迎えているのだ。

【歴史】
紀元前6世紀頃から人類が居住。ローマ時代には天然の良港として海運業や軍港として発展した。1100年頃より自治都市となりジェノバ共和国として発展。アマルフィ・ベネッツイア・ピサと共に海洋国家として栄えた。
16世紀には欧州金融を支配し、商工業も栄え重要な軍港であった。黒海貿易を独占し、クリミア半島南岸諸都市・コンスタンティノポリスの金閣湾北部・イベリア半島諸都市に植民地や商館を築き、ベネッツィアやオスマン帝国と覇権を争った
その後1797年ナポレオン・ボナパルトのフランス軍に侵攻され属国(リグリア共和国)に、1805年にはフランスに併合され、ナポレオン失脚後もウイーン議定書でサルデーニヤ王国に編入され11861年のイタリア統一に至る。→いろいろな興亡があったので簡単には頭に入りにくいが、春にトルコに行っていたので少しだけ繋がりが理解し易かった。

【感想】
16世紀の世界の中心と言って良い金融街の建物群が残っている一角があり、趣深い石畳や建築物の表示の渋さ、名器ストラスバリウスのある家等もさりげなく残り、坂道の建物の合間から見える港が往時の繁栄を偲ばせ渋く印象的な旧市街であった。
中心部のガルバルディ通りの名は19世紀にイタリアを統一した軍事家の名前なのでイタリア人で知らぬ人はいないとの事。そこにコロンブスの居住したという家も見る事が出来た。
尚、2001年にここでG8が開催された時はグローバリゼーションへの抗議行動で話題を呼んだらしい。その近代の欧米支配発祥の地とも言えるジェノバで起こった事は皮肉と言うか、現代イタリア人の本能が発達していて別の道を求めているのか。

②-1 ナポリ
【概要】
人口約100万人。世界三大夜景とか「ナポリを見てから死ね」と言われる程風光明媚な土地。輝く太陽と温暖な気候、陽気な人々のイメージの元。

【歴史】
紀元前6世紀に古代ギリシャ人(アテネ人)により建設されたネアポリス(新しいポリス)がナポリの語源。長くローマ帝国の支配下だったが476年のローマ帝国滅亡後流動的に。6世紀に東ローマ帝国のユスティニアヌス1世がイタリア再征服。ビザンツ帝国の属州となり、660年ビザンツ系の公国に。
11世紀にはノルマン人が到来シチリア王国を建国し、1140年ナポリ公国もノルマン人の支配下に。
12世紀は神聖ローマ帝国の支配下に。その後も、シチリア王国→フランス・ヴァロワ王朝→スペインに。1707年には、オーストリア・ハプスブルグ家→スペイン王子がナポリ王カルロス7世となり、その後ナポレオン・ボナパルトの兄ジョセフ等目まぐるしく支配者が変わっている。
1860年にジュゼッペ・ガリバルディに征服され、翌年イタリア王国に併合された
1995年、世界遺産(文化遺産)「ナポリ歴史地区」に。

【感想】
サンタルチア港に入港。本当に美しい!ヌオヴォ城、卵城を見てボンペイへ。ナポリの問題のゴミはチョットだけ見ましたが観光区域はキレイで大きな問題ではないように思えたが…。出港の時も名残惜しく美しい港に見とれてずっと眺めていました。

②-2 ポンペイ

【概要】
世界遺産。79のヴェスビオ火山噴火の火砕流で地中に。
18世紀発掘開始噴火時はローマ人の余暇地として栄え人口約2万人。散策したローマ時代の街フォロは、大理石の柱に花・鳥・動物のレリーフ、肉・魚・パン屋・居酒屋跡、ローマ時代の浴場(内部がとても綺麗)等も残存。噴火の際溶けた被災者の遺体を復元した石膏像もある。

【歴史】
紀元前89年反ローマ側に加わったが征服され周辺のカンパニア諸都市と共にローマの植民地になっていた。ワイン醸造が主産業だったらしい。

【感想】
ポンペイ遺跡から20Km離れたヴェスビオ火山がくっきりと見える。有名過ぎる遺跡だが本当に2千年前の往時の繁栄を偲ぶ事が出来る、多くの人が引き付けられるのが納得のいく所だった。歩いたのは一部のみだが広大で快適で、時空を超えたような不思議な感覚を味わえる空間だった。

③パレルモ
【概要】
シチリア島の州都。独自な国際色豊かな文化を生みだした、 中世シチリア王国の古都。

【歴史】
紀元前264年~241年の第一次ポエニ戦争で、カルタゴからローマの支配下に。(313年コンスタンチノポリスに首都を移す。その後395年東西ローマ帝国に分裂。476年のゲルマン人の侵入で)西ローマ帝国滅亡後は東ローマ帝国領となった。
9世紀にはイスラム勢力が侵入、965年陥落しシチリア全島がイスラム支配下に。パレルモは30万人、モスクも300余、キリスト教徒やユダヤ教徒も共存して中世ヨーロッパには見られぬ繁栄を極めた。
11世紀はノルマン・シチリア王国、神聖ローマ帝国、13世紀に仏アンジュー家に征服されるが反乱でナポリへ追い出し、スペインのアラゴン家支配下に。1479年以降スペイン副王が駐在。
スペイン継承戦争で一時オーストリアに渡るが1734年スペイン・ブルボン家カルロスがナポリと共に征服、王宮をナポリに。ナポレオンの侵攻で一時パレルモに逃れるがウイーン条約体制で両シチリア王国の王宮は再びナポリに。1860年イタリア王国に併合される。
第2次世界大戦で連合国軍がシチリア上陸作戦を行い爆撃で破壊された。近年、大聖堂、ノルマン王宮跡、教会等旧市街が再生・保存されている。

【感想】
高台の街モンレアーレも階段を上り大聖堂に。12世紀にノルマン・アラブ様式で建立。内部は旧約・新約聖書の場面が黄金のモザイクで描かれキリストのモザイクも圧巻だった。ティレニア海も展望し両側のショップも楽しめた。午後は市内観光。マッシモ劇場はゴッドファーザーも撮影されたヨーロッパ屈指の大劇場だが中に入れず残念。いずれオペラを観に来たいものだ。